近所に小さな駄菓子屋があった。
木造の古びた店で外壁には色あせた広告のポスターが貼ってあり、夏の陽射しにもどこか湿った匂いが漂っていた。
店の奥からは木製のレジ台がきしむ音や、古びた棚に並んだ駄菓子がかすかに揺れる音が聞こえる。
僕はいつの頃からか、その駄菓子屋でちょっとした「悪いこと」を覚えていた。
小銭が足りないとき手元の駄菓子をそっとポケットに押し込む。
何度も何度も。
でも一度もバレたことは無かった。
もちろん悪いことであるのは知っていた。でもだからこそ密かな優越感を覚えていたのだった。
ある日のこと。
僕はいつも通り駄菓子屋に入った。
今日のお小遣いで買える分だけのお菓子を選ぶ。
レジに向かうとおばあちゃんはいつも通りに黙って僕の選んだお菓子を手に取った。
でも、その顔にいつもは微笑んでいる優しさはなかった。
視線が僕の目をじっと捕らえたまま微動だにしない。
そして会計を済ませようとした瞬間、低くかすれた声で一言だけ言われた。
「全部、知ってるよ」
その瞬間、店の空気が止まったように感じた。
周りの音が消え、棚の駄菓子も、カラフルな包装も、すべて遠くのもののように見えた。
心臓が喉まで跳ね上がり、手が震えた。
おばあちゃんの顔には怒りも笑みもなくただ静かに僕を見つめるだけだった。
僕は急いでお金を置き、袋を掴むと店の外へ飛び出した。
外の太陽はいつも通り明るかったけれど僕の胸の中は冷たい氷に覆われたみたいだった。
あの日以来、僕は二度と万引きはしなかった。
そしてあの駄菓子屋の前を通るたびあの静かな視線を思い出して背筋がぞくっとする。



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