ただのガンマニアの集まりが殺人集団に変わった話

怖い話

最初は、ただの集まりだった。



公民館の小さな和室。テーブルの上に雑誌、ハンドブック、古い写真。缶コーヒーとお菓子。年に一度の遠征で射撃場へ行き、静かにターゲットを狙う。

銃が好き──その共通項だけで集まった人々は夕方の談笑の中で笑い合い、次の集まりの予定を決めた。

メンバーは職業も年齢もばらばらだった。

中年の会社員、定年退職した技術者、若い整備士、物静かな図書館司書。

彼らの話題はある日、銃そのものから「銃の歴史」「部品の美しさ」「操作の微妙な感触」へ移っていった。

写真の一枚一枚を丁寧に褒め合い、古い機種の解除音や金属の手触りを語り合う。

ほのぼのとしてどこか手作りの温かさがあるサークルだった。


だが興味は次第に深くなる。

雑談が技術論へ、技術論が収集へ、収集が改造の興味へと針を進める。

仲間内で褒められることが自己承認になり、褒められるためにより「珍しい物」「より完成度の高い物」を求めるようになった。

小さな競争心が生まれ、誰もそれを悪いとは思わなかった。

互いの腕前を認め合うことで居場所ができたのだ。


リーダー格の佐久間は元機械メーカーの技術者で手先が器用だった。

温和な笑顔の下に熱があり、話すと皆が耳を傾けた。

ある夜、彼は「理想の一挺」を語り始める。

完璧な作動、完璧な美しさ、完璧な精度。

メンバーは夢中になった。



「作ってみようか」





その一言が、集まりの流れを変えた。

最初の一歩は違法行為を想定するようなものではなかった。

既存の部品を寄せ集めて雰囲気だけを再現する「模型」を作るつもりで始めたのだという。

だが模型づくりはいつしか性能を求める作業に変わっていく。

夜な夜な集まっては分解と組み立てを繰り返し、触れるたびに興奮を覚える者たちがいた。

部品の摩耗を気にし、ねじ一本のトルクで歓声が上がるようになった。



倫理の境目は薄かった。

誰かが「実戦で使えるもの」を冗談交じりに口にすると笑いはすぐに消えた。

けれどその消えた空気の中で誰も否定しようとはしなかった。

ただの興味本位がいつのまにか計画へ、計画が行動へと変わっていく。

外部の世界では法律や危険性がある——だが彼らの間では「製作」という行為そのものが目的化してしまったのだ。



最初の事件は小さかった。

射撃場で「仕上がり」を試したとき、制御の甘さから事故が起きてメンバーの一人が軽傷を負った。

だが怪我は逆に彼らの結束を強めた。

「もっと完璧にしなければ」と外部の非難ではなく仲間内の問いと慰めが優先された。

誰かが負傷しても口を閉ざし、問題を内部で処理する。

その閉じた空間が正気のブレーキをさらに壊していった。






そこからは速かった。

彼らはより高度な材料、より精確な工具を求めて工場の端材やネットで入手できる部品を集め始めた。

改造が進むほどに「見た目の美しさ」と「機能の危うさ」が同居する作品が生まれた。

外向きには「趣味」と説明し、内実は製造ラインのような苛烈な作業に変わっていった。
夜勤明けの疲労を押して集まる者、仕事を辞めて没頭する者。家庭や友情は摩耗していった。




そしてある夜、集団の暴走が現実の破壊を引き起こした。

目的を見失った狂気が偶然と重なった。

作品の精度を追求していくことで高まる承認欲求を内に秘められず外部へと漏らした。

自分たちの作品をどうしても欲しいと懇願する者が出て大金を積まれてつい譲ってしまったのだ。

そしてその「作品」がある商業施設で爆発を起こしたのだ。

店のガラスが砕け多数の通行人が倒れた。

被害は大勢に及んだ。

警察と救急のサイレンが夜を貫き、翌朝には新聞の一面を飾った。




事件の捜査が始まりそこから全てが暴かれるまで時間はかからなかった。

サークルの軌跡は明確で、購入履歴、工具の入手先、集会の記録、SNSでのやり取り——全てがつながり警察はほぼ即座に関係者を特定した。

リーダー格の佐久間は尋問の前に静かに自室で待っていたという。

取り調べでは、彼らの「趣味」がどのように暴走していったかが冷静な言葉で語られた。最初は無害だった集まり、模型の延長としての制作、承認欲求の肥大、そして外部との接触による暴走……。全てが「ただの趣味の延長線上」にあったことが浮き彫りになった。

法廷では被害者と遺族の証言が重くのしかかる。

ほのぼのとした集まりの裏で起きた惨事の規模は誰も想像していなかったものだった。

佐久間と数名の主要メンバーは有罪となり長期の拘禁刑を言い渡された。

しかしサークルの全貌や関わった全員の心理状態を完全に解明することは不可能だった。



地域は長い間事件の影響から立ち直れなかった。

公民館の和室は使用されなくなり、かつての仲間の家族関係は破綻した。

子どもや近隣住民たちは趣味の延長に潜む危険性を肌で学ぶことになった。

結局、残されたのはほのぼのとしていたはずの集まりがどの瞬間に狂気に変わるかという恐怖の記憶だけだった。


そして教訓は明確だった——趣味や情熱は人をつなぐ力にもなるが、境界を見失えば人を破滅に導く力にもなり得るということ。

公民館の机には今も埃をかぶった雑誌と古いハンドブックが残る。

それを見た者はかつてここで何が起きたのかを想像せずにはいられない。

静かな匂いの中でほのぼのとした時間が狂気へと変わった瞬間の記憶だけが残り続けるのだった。

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