俺はサウナに入るのが日課だ。
仕事帰りに寄る小さな温浴施設が俺にとっては一日の区切りみたいなものだった。
男たちがが無言で汗を流していているあの独特の空間が妙に落ち着く。
人が多く混雑していたがそれも俺は嫌いじゃなかった。
でも、その日は違った。
受付の人もどこか元気がなくて浴場もやけに静かだった。
サウナ室を開けると
中には三人ほどいたが
皆、顔色が悪かった。
誰も話さない。
息の音とストーブのじりじりした音だけが響いていた。
座って2分ほど経った頃、
一人、また一人と立ち上がって出て行った。
俺は深く息を吸って目を閉じた。
サウナに一人きり。
こんなこと珍しいなと思った。
それからしばらく経った。
そろそろ出ようと思って立ち上がり
サウナ室のドアを押した。
……開かない。
え?と思ってもう一度押した。
だがやっぱり開かない。
「おーい、誰か」
声を出したが返事はなかった。
そんなはずはない。
汗が目に入って世界がぼやける。
心臓がどくどくと速くなる。
さっきまで他にいた三人が、
なぜ全員、同じ無表情で出ていったのか――
その理由を急に理解した気がした。
急に耳元で、
「カン」
と何かが叩かれた。
振り返ると、
サウナストーブの横に“誰かが立っていた”。
いや、“立っていた”というより、
そこにあった“空間が人の形に歪んでいた”。
形だけは人間。
でも顔は溶けたみたいにわからない。
熱気がゆらめき、輪郭がたゆんでいる。
そいつは俺を見ている。
目があるはずの場所で見ていた。
動かない。
ただ、そこに立っている。
なのに息が聞こえる。
俺と同じリズムで。
呼吸が、重なっていく。
俺は必死にドアを叩いた。
「誰かっ……! 開けてくれっ!」
でも叩けば叩くほど、
背後の“そいつ”の気配が近づいてきた。
熱で頭がぼうっとする。
汗じゃなくて、皮膚が溶けていく感覚がした。
最後に見たのは、
俺の肩のすぐ横に落ちる“別の影”。
俺と同じ姿勢で俺を真似して、
ドアを叩いていた。
……俺の“影”じゃなかった。
気がついたとき、俺は外の休憩椅子に座っていた。
スタッフが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですか?
サウナ室、今日は使われてませんよ」
使われていない?
そんなはずはない。
俺はあそこで――
サウナ室の方を見る。
ガラス越しに見えた。
中で誰かがこちらに向かってドアを叩いていた。
俺と同じ動きで。
俺と同じ姿勢で。
俺と同じ顔で。
あの日以来、
俺はサウナに入れていない。
でも夜になると、
玄関の曇りガラスに手形が増えていく。
ドアを叩く音がする。
カン……カン……カン……
あれはまだ
俺と“入れ替わろう”としているのだ。


コメント